50代、いまさらですが自己肯定感を高める、親に褒められた記憶 その2

私の母はなかなかの教育ママだったのかもしれません。
いかにもごり押しではなかったので今の今まで考えたこともなかった私も私ですが、こうして思い返してみると明らかに教育ママでした。

前回書いた通り、たとえば美術についていえば、テーマを学校で与えられるとまずはそれを持ち帰り、一緒にどんな図案にするかを考えました。
いまのようにパソコン検索ということはないので、百科事典のページをめくってテーマに合うヒントを探しました。
静物画を描くときにはコーヒーの瓶とクリームの瓶ならオシャレだということで麻のテーブルクロスに2つの瓶を並べて、もっと離したほうがバランスがいいだの左右を入れ替えたほうがいいだの。
母娘で完成させた合作は、今思えば子供らしさのないものでしたね。
だけど私が大人になってからも「あなたは本当に絵が上手だから。だってあのときのコーヒーの絵、すごかったじゃない、学校に貼りだされてね。」と何度も何度も褒めてくれました。

母はピアノを習わせてくれました。
母の妹、私の叔母はピアノを習っていたそうで、母は習いたくても習えなかったので、娘の私で夢をかなえたのだと思います。
小さい子が自分で習い事を選ぶなんてこともないかもしれませんが、私は母の夢としてピアノを習っていました。
母は音楽が好きだったので、私もその血が入っていてピアノの上達ぶりは母を満足させるものだったと思います。
当時私が「やったー、母を満足させられた!」などと考えながらピアノのレッスンに通っていたわけではありませんが、母はずいぶん喜んでいました。
「あなたはピアニストになれるんじゃない??先生も音大もめざせるって言っていたわよ」と褒めてくれました。

doyoon

そうかと思うと、私は器械体操が苦手で、みんなとそろった動きができない子だったので、母は「あなた、まじめにやっててああなの??」と体育祭のあとなどで文句を言っていたな。

母が旅行に行っている間に頼んでいたお花の束が届いた日、きっと母が喜ぶだろうと、何の知識もないけれどそれなりのつもりで花瓶に生けた花を、帰ってきた母が見て「なんなのよこれ」と言って花瓶から引っこ抜いて生けなおしていました。
悲しかったかなあ。
悲しい素振りは見せなかったけど。

あれ??考えてみると、褒めてくれたのは母の言う通りのことができたときだ。

母が考えたこと、母が望んだこと、母がなってほしい私になったときにしか褒めてくれてないじゃん。
母の理想とはずれたときは怒っていたわ。