自己肯定感と親から褒められた記憶 その3

前々回前回の「母から褒められると私がイラつく話」の続き。

思えば母自身、厳しくて自我を出せない環境で育った反動もあったと思います。

そもそも母は気性が激しい人だったから、父ともよくケンカをしていました。

階下から2階の私の部屋まで両親の怒鳴り合いの声が聞こえてきたものです。
私は床に耳をつけてケンカの成り行きを見守り、怖がりながらおさまるのを待ったものです。

それでもケンカが収束しないときなどは、怒鳴り声に続いて母が階段をガンガン音を立てて2階まで駆けあがってきて

あなたのお父さんはこんなこと言うのよ!
もうこんな家にはいられないから出ていくわよ!

と、今も覚えているけれど、袖口にポワポワしたモヘアのようなものがついた茶色のコートを羽織った母が、大きなバッグを抱えて兄と私を連れて家を出ようとするのです。

そのあと玄関を出た記憶まではないので、毎回父が止めてたのかなあ。

yada

こういうことも人格形成には影響があると思いますが。

だけど、だけどです。

会えない母にもしも今会えたとして、これら全部に文句をつけたいわけでも、謝ってほしいわけでもありません。

家族っていろんな形があるし、それぞれだから、私の両親が間違ったことをしたとは思いません。
両親も親だけど人だし。
特に、私は親になったこともないから親の気持ちはわからない。

また、同じ環境に育った子が全く同じセリフを言われて育ったとしても、全員が今と全く同じ「私」になるわけでもない。
その子の個性が、感じ方が、受け取り方が自分を作ってきたと思います。

母もまたいろんな経験をして母になり、そうしてできあがった母が育ててくれて、その過程での私の『受け取り方』によって、今ここにいる私ができあがっただけのことですから。
もちろん、その『受け取り方』をした私が悪いわけでもない。

だから今日もやっぱり私は母の写真に語りかけるわけです。

ありがとう、お母さん

と、いつもと同じ気持ちで言うわけです。

だけど、私、ちょっとわかったわ、お母さん。

と、今日は続きがあるかなあ。

私はずっと、好きなように好きな絵を描きたかったんだと思う。

それをどうしてこんなところで語っているのか、その場で言えば済む話だったのに、ね?

高校のクラス替えのときも、音楽クラスと美術クラスを選べたけど「あなたは音楽よねえ」ってお母さんに言われ、そのまま「うん」と思って音楽クラスを選んだ私。

どうしてその場で「私は美術にする。だって絵とか色とかが好きなんだもん」って主張しなかったんだろう、ね?

好きなことを自由に選んだり、自分の考えを主張した経験も、自分がどう思っているのかも考えたことがなかったし、何が好きかも知らかなったから、自分のことなのにわからなかった。

でも、どうしてお母さんに褒められるとイライラしたか、わかったわ。

私は、自分でやりたいことをやって、それをお母さんに褒めてもらいたかった。

やらされたことをいくら褒めてもらっても、それは私にとってはうれしいどころか、やりたくもないのにもっとやれってこと?と、ココロが拒んだのかも。

もっと言うと「あなたと私は同じなんだから、あなたは音楽よ、だって私が言うんだから間違いないわ、音楽よ」ってココロには聞こえたみたい。

ずっと自分のココロの声を聞かずにきたから。
他人のココロの声ばかり気にして。

違ったのよ、お母さんと私は。

私は私だったのよ

いま、自由に絵を描いて、自由に好きな色をつけていたら、ようやくわかったの、お母さん。
急にいろんなことが紐解けた気がするよ。

ありがとう、お母さん

kirakira

あなたが何かに気づいて自由な気持ちになれたのなら、それでよかったわ
あなたの幸せを願っているわよ