焦りから抜け出す方法

いちいち焦る

テレワークになってから、会社からいろいろな形で連絡が入る。
平日はその都度処理をしてしまうので、自分にとってイヤな内容でもまあまあ右から左へと流すことができなくもない。
けれど、週末に入っていたメールを、ついつい開いて見てしまい、そのあとの営業日である月曜日までの時間。
ものすごくイヤな気分。

どうして休みなのに会社のメールなんて見てしまったんだろう。

その内容には自分なりの反論があるけれど、休みの日にそれを打つ気はしない。
だけどモヤモヤして月曜日の朝までの時間が耐え難い。

と思っていたら続編のメールが来た様子。
ああ、気になる。
気にしているぐらいなら読んでしまえと開いて読んでみたら、ますます反論したい内容が書かれていて、カーッとなる。

私のカーッとなるというのは、怒りのほうではなく焦りのほうで頭がカーッとするのである。
素直にカーッと怒れるのなんて夫にだけ。
世間様へのカーッは、怒ることより焦ることなのだ。

メールというのは何度も読み返すことができてしまう。
バカバカしいと思いながらも何度も読み返してしまい、

何これ、どういう意味??
そういう意味で送ったデータじゃないのに。
そこはそういう意味じゃないって前にも説明したのに。
どうせ私のことバカだと思たんでしょ??、そういう文章だ!

読めば読むほど勝手に妄想して焦るのはなんで?

メールよこした相手はいまごろメールで文句たれたことなんて忘れて遊んでるわよ!!

焦りの心理

焦りにもいろいろな種類があるとは思うけど、どの焦りも実体はない。
ココロの迷いや不安からくる、ある出来事に振り回されている途中の心理だということは理屈ではわかっている。

私の焦りの構成は「自分の目」と「他人の目」が二大要素であることもうすうすわかっている。

「自分の目」。
「こうあるべき」「こうでいたい」という自分で作り上げている理想像がある。

だけどその理想が高すぎるのか、自分に自信がなく、何かちょっとしたことにいちいち不安と焦りを感じる。
余裕のない状態のところへ何か問題が起きると、委縮して焦って頭の中が真っ白に。

もう一つは「他人の目」。
「こう思われたい」や「こう思われたくない」というやつである。

ちょっとはデキる人と思われたい、怒られたくないという小さなプライド。
他人が作る自分像を自分で持っている理想像に近づけたくて緊張を高めて焦るという。

自分が思うほど他人は自分に目なんて向けていないんだけどね。

自分が思うほど他人は自分のことをそれほど見ても考えてもいないことは重々承知しているつもりなんだけど、理屈でわかっているだけで、深層心理では『そうはいっても』と思っているんだろうなあ。

焦りから抜け出す

育ちのせいにするわけではないけれど、焦るタイプは親の期待を背負ってきた自覚が強いひとに多い気がする。
親の期待は「自分の目」でもあり「他人の目」でもあるような。

とにかく、自分を楽にしてあげるには、この実体のない『焦り』という一時の途中心理からさっさと抜け出すしかない。

まずは深呼吸を、とよく言うけれど、実際他人と一緒にいて焦っている最中に深呼吸ができるような余裕が持てるなら、最初から焦ったりはしないと思う。

「焦らないように」とどうにか深呼吸をしたところで、実はココロの底では「焦ってはいけない」と考えながら深呼吸しているのだから、逆に焦りを増幅させる気もする。
それよりも、「焦ってもいいんだよ」と自分を許してあげることができればなあ。
無理矢理深呼吸をして焦りを増幅させるより、「あ、今、焦ってるよぉ」と俯瞰して事実をふまえながら、

「焦ってはいけない」を「焦ってもいいんだよ」に。

「こうあるべき」を「こうしなくてもいいんだよ」に。
「こうでいたい」を「こうでいなくてもいいんだよ」に。
「こう思われたい」を「こう思われなくてもいいんだよ」に。
「こう思われたくない」を「こう思われたっていいんだよ」に。

自分で決めた理想像は、あくまで自分で思い描いているものであり、たとえ理想像になったところで他人から見たら全然ステキでも何でもないかもしれないからね。

もういままで焦りながらも充分に頑張ってきた、その部分については自分を認めてあげて自信を持とう。

「こんな焦った自分じゃだめだ、いやだ」を「今の自分のままでいいんだよ」に。