友人と会わずに1年が経ちました

去年の今日、3月20日は友人たちと、転勤する仲間のひとりの送別会でした。
あれから丸一年。
私は一度も友達と会っていません。
うーん。
どうなんでしょ、これって。
で、いつまで続いてこの先どうなるの??

特に会わなくても何ともなかったひと

コロナを口実に会わずに済むひととは会わずに済むようになりました。
これは相手にとっても同じことだったと思います。

私も相手を特にどうしても必要とはしていなかったし、相手からみても、私とこのままずっと会わなくても何の支障もないひと。
特に会わなくても何ともなかったひとと、自然に会わずに済むようにできた。
コロナ禍により、前向きに考えればいくつか良かったこともあったと思っていますが、これはそのなかのひとつかもしれません。

そもそも、こういった相手は価値観からして違っていたことがコロナによって可視化できてしまった感もあります。
私とは会わないけれど、ほかでは結構この時期も飲み歩いているらしく、なんとか警察ではないので、それを批判する気はないけれど、価値観の違いは歴然。
価値観が同じでなければならないのかというと、そういうわけでもないけれど、無理していたのかな、お互いに。

いままでありがとぉぉぉ

なわけでございました。

自分に向き合う時間

自分のチカラで思い切って、誰とも会わないようにして自分と向き合う時間を作ろうとしても、それはなかなか難しかったと思います。
ところがコロナをきっかけに、そうした時間が自然とできてしまいました。

私の場合、自分と向き合ってどうしたかというと、別にどうもしてないのですが、いままでとは違った時間の使い方を知ったし、いままでとは違ったひととのつき合い方も知ったし、50年以上生きてきて、当たり前だったことがそうでもなかったという新発見もありました。

その結果は。

自由度が不足して、閉塞感がすごいけど、悪くもないような。
この生活、これはこれだわ。

そう、悪くもないなあ、いまの生活もと思うときもあります。

だけどやっぱり会いたい友達

コロナをきっかけに友人関係も断捨離されてしまい、本当の大切な友達だけが残ってくれた気がします。

この友達たちは、30代40代の、生活環境や経験値の違いを感じ合って友人関係が変化する時期という難所はとうの昔に乗り越えた間柄。
自粛生活を機に『こんなひとだったの??』と何かが浮き彫りになったところで動じない気がします。

実際、思い起こせば、LINEやメール上でコロナに対する温度差を感じる部分もあったかもしれないけれど、関係性にはまったく影響ありません。

先日その中の友達のひとりが

普通に会ってたころ、どうやってしゃべってたか忘れちゃったよ

とLINEでぼやいてきました。
確かに、友達たちとどんな風に話してたんだったかなあ。

もういい加減、話し方を忘れるほど会っていないのか。
やっぱり普通に会って普通に話したいなあ。

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