自分の手を大切にする

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手に限ったことではなくカラダはどこもかしこもすべて大切なのですが、手を大切にするとちょっと意識が変わるなと思った話。

あるとき、『こうしてみると自分の手もずいぶん年取ってしまったなあ』ってちょっと悲しく自分の手をながめたとき、せめてものあがきと思ってハンドクリームを、指の間も爪の周辺もシミの上もシワの隙間もとにかく丁寧に丁寧に日々塗り込み続けたら、自分の手がちょっと喜んでいるようにツヤっとして、右手で左手をさすってみても左手で右手をさすってみてもシットリして、スマホを操作する手も、お箸を持つ手も、白く輝いてきたようで。
考えてみればハンドクリームを塗るときも、手はとても優秀な動きをしてくれます。
細かいところまで動き回って、指先は程よく弾力があるからどんなカーブにも対応可能。
そしてついに、お買い物をして支払をする手を見てお総菜やの奥様が『あらー、キレイにしてるわねー』って手をほめてくれたときにはヤッター!って気になりました。

ところで、マツコ・デラックスさんって手の動きがとても上品な方だと思います。
キレイでふくよかな手が物に触れるときなどにフワリフワリと美しく動いて、観ていて、ああ、物を大切にする気持ちが現われているのかなと思います。
手の動きはその人の考え方や人となりを映し出すのかもしれません。
大雑把な人は手も雑な動きをするし、繊細な人は手の動きも細やかな気がします。
手を丁寧にお手入れしていると、お手入れし続けた思い入れのある自分の手を見て、どこかちょっと自分の意識が変わってくるように思います。
『テイレ』の『テ』は『手』の字ですね。
語源は知りませんけれどなんとなくわかる気がします。

自分の手はいつも視界に入るから見た目に美しい手であるにこしたことはない。
そりゃあいつもキレイにネイルなどをしていられれば尚良いでしょうけれど、そうもいかないこともあるし、自分の可能な範囲で大切にされた手を持っていたい。
何かの本で読んだあるくだりを思い出すと、『いつもありがとう、ワタシの手』と言いたくなります。
本には、手は自分とは別の生き物のように、自分のために思った通りに動いてくれて、自分が寝ている間も寒いと思ったら自分のために布団を引っ張り上げてくれて、自分の命が途絶えるときにはその手も動きを止める、といった内容が書かれていました。

こうして私は今キーボードに文字を打ち込んでいますが、こんな文書を書いておきながら最近ちっともハンドクリームを塗ってもらえない両の手が、乾燥でカサカサになりながらも一生懸命私の考えを画面に打ち出してくれています。
打ち終わったら久しぶりに塗ろうかな、ハンドクリーム。