夫婦って不思議。

いまさらだけど、夫婦って不思議。

近ごろはAIによるマッチングでカップルが誕生するということもあるらしいけれど、50もとうに過ぎた私たちの時代には「AI」なんていう言葉自体知らなかった時代。

幼馴染、学生時代の仲間、会社の同僚、合コン、お見合い、結婚相談所。
SNSもない時代、考えてみればせいぜい数百人の中から、どんなに多くても万を超える中からパートナーを探すことのできるひとなどいなかっただろう。
その限られた出会いの中から自分たちで相手を見つけ合って結婚などをしてみる。

AIによるマッチングだとどのぐらいの人たちの中からパートナーを探せるのかな。
しかも、その中からあらかじめ相性まで分析した結果の出会いだから、今と昔とでは完全に時代が違うわけである。

我々はそうやって選んだ相手と、簡単に同棲などできる時代でもなかったので、結婚などをして、初めて一緒に暮らしてみて、そこでようやく

え?
この人こういう人だったのか

と、うれしい部分やがっかりな部分にお互い気づきながら暮らしを重ね、苦難を乗り越え、喜びを共有し、別れなければそのまま一緒に歳をとっていく。

partner

私の場合、結婚してから気がつけば25年。
今年は銀婚式。

相変わらず年に何度もケンカをする。

ケンカまでには至らなくてもムッとし合ったり、腹を立て合ったり、イラっとし合ったり、頭に血が上り合ってたまらないときもある。

そういうとき、25年たった今でも私は

そうだ、こう考えれば腹も立たず気分も楽だ、よし、今後はこのように考えればいいのだ。
どうして25年間、この素晴らしい考えに辿り着けなかったんだろう。

などと、ものすごくいい考え方がひらめいたような気になる。

例えば、2021年の元旦の今日。

本日のケンカでひらめいた考え方は。

どうしてこんなことぐらいやってくれないんだろうって思ったとき。
自分しかいなければ当然自分でやることを、ふたりでいるからやってくれないことに腹が立つ。
これは昔でいうところの「くれない族」である。
ああしてくれない、こうしてくれないと思うのは、相手に期待するから生じる感情だ。

ひとりなら自分でやらなければいけないことなのだから、そもそも相手に期待をせず、ひとりと思って自分でやればいいのだ。
所詮人間はひとりなのだ。
何人で暮らそうと依存せず独立心を持つのだ。
そうすれば、やってくれたときには「やっておいてくれたの??」という、怒りどころかむしろ感謝の念が生じるではないか。

なんと素晴らしい考え方なんだ

と、相手に対して腹を立てていたはずが、自分の中で全然違う角度の話になってきて、すっかり怒りもおさまっちゃう。

そして勝手に自分は怒りが静まってしまったものだから相手に普通なムードで話かける。
すると相手はわけがわからず面食らった様子。
私としては

こっちはどうにか気持ちを抑えているのに、アータはいつまで引きずってるのよ!!

とまた腹が立ったりする。

これではあまりに勝手である。
そこで

そうだ、さきほどの素晴らしい考え方を利用してもう一度心を静めるのだ!

とさっき思いついたばかりの素晴らしい考え方を使ってみようと思っても、今回の腹立ちには全く当てはまらない。
あんなに素晴らしいと思った考え方もあっさり何の役にも立たなくなるという謎。

are?

だけど、ここまで我を通し続け、腹立ちをぶつけまくり、自分をさらけ出して荒れ、勝手に収束させようなどということのできる相手は、親兄弟ではないし、友達でもないし、どう考えても私には我がパートナーだけです。

こう考えると大切にしなければと反省と感謝しかないですね。

そうか、究極、私にはもはやアータしかいないみたい、という考え。
よし、新年早々、素晴らしい考え方だぞー。

omedeto

今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。