アラフィフおセンチ気分、懐かしの「しあわせのあかり」

スポンサーリンク

50代ともなるとたまにおセンチな気分になるときがありませんか??
私はあります、おセンチな気分になるとき。

日が暮れて暗くなったころ、さてとカーテンをしめようとすると、我が家からはある一軒家が目に入ります。
我が家から見えるその家のひとつの窓に、家族が集う部屋なのか、その時間ほんわかとしたあかりが点いています。
その柔らかなあかりを見ると、私はなんだかかつての実家を思い出します。

我が家はごく普通の4人家族で、実家は一軒家でした。
当時、私が外から帰るとあたり前のように玄関には門燈が、そして台所には優しいあかりが灯っていました。
玄関のドアをあけると、そのあかりの灯った台所から家族のワイワイと楽しげな声が聞こえてきました。
本当にあたり前のことでした。

その後、兄の次に私が実家を出ました。
たまに今の家から実家へ顔を出し、しばらく過ごして今の家に帰るころには夜になっていて、「またいらっしゃいねー」と母に言われ、「また来てくれなー」と父に言われ、あたたかなあかりの灯った台所を背に帰路につきました。
車で実家に行ったときにはその車が見えなくなるまで両親がずっと道に出てふたり並んで手を振ってくれていました。
バスで実家に行ったときには母がバス停まで来てくれて、私が乗るバスが見えなくなるまでバス停で見送ってくれました。

今の我が家でカーテンをしめるときに視界に入る一軒家のほんわかとしたあかりがちょっと前までの自分を思い出させて私をおセンチにする。
あのあかりのもとでは私は子供。
すでに大人だったはずだけど、結局のところ両親の愛情に包まれた私は何歳になっても子供でいたんですね。
今も私はしあわせだと思っているけれど、将来の不安やら大人が背負う責任やらをかかえた今の我が家のあかりとはまた別で、カーテンの向こうに見える一軒家のあかりと同じあかりの中にちょっと前までの自分もいたのかと思うと、懐かしくて切なくておセンチ極まりない。
家族って形が変わっていくんですよね、知らなかった、『子供』だったから。
大切にしてね、今のそのしあわせのあかりを、と、どんな家族構成かも知りもしない一軒家へ勝手なエールをつぶやいてカーテンをピッチリとしめる。

もっと親を喜ばせることが出来たんじゃないか、もっと話を親身になって聞けばよかった、もっとなんでもかんでも話せば良かった、あの心地よいあかりの中でもらった愛情にいったい私は何のお返しをしたというのか、と、ついつい後悔の念のようなものが頭の中を占領し、なぜか急に謝りたくなってきて、「ごめん、お母さん」と、写真に話かけるころにはもはや涙目です。